小豆の煮汁の現代版が完成。戦国あずきを水やお湯に溶かして飲むだけで基礎代謝が上がりアレルギーに強くなります(無味無臭です)。
ポリフェノールやミネラルをたっぷり含んだまま、太る原因だったでんぷん質やタンパク質を取り除くことに成功。デトックス対策イチオシが誕生しました。


森鴎外とカッケ

 明治の文豪、森鴎外(林太郎)が日本陸軍の軍医だったことは有名です。陸軍軍医/森林太郎にまつわる物語、「白い航跡」吉村昭著にはとても興味深い内容が記録されています。日清日露戦争にて、戦わずして大量の死者を出した病=脚気。白米と脚気の話です。

 脚気をご存知でしょうか?脚気は、手足のしびれや動悸、足のむくみや食欲不振という初期症状が出て、次第に歩行が困難になり、悪化すると心不全を起こし死に至る病気です。これが、日清戦争(1894年-)、日露戦争(1904年-)のとき、日本陸軍に広がりました。

 今からおよそ120年前の1890年頃、海軍はイギリスに、陸軍はドイツに学び、それは、医学においても同様でした。当時のドイツ医学は世界最新で、病気の原因は病原菌であることを次々に発表していました。ペスト菌、コレラ菌、チフス菌、結核、マラリア原虫などの細菌の発見により、次々と、それまで不治の病とされてきた病気の原因を突き止めていました。軍医として日本を代表してドイツ留学を行った森林太郎はこの影響をまともに受けます。日本陸軍は細菌の追求により、戦地での病死者を激減させることができ、戦力を維持できる富国強兵策を高く評価し、支持ました。

 日清戦争が始まると、1)朝鮮出兵 2)満州方面出兵 3)台湾出兵の三隊に別れて出陣しました。そのうちの台湾出兵隊に悲劇が始まります。ドイツを視察し、ドイツを学んだ森軍医は、ドイツの戦力の強さは肉、パン、バター、ミルクで構成される高栄養分の食事が強く関与していると考えます。今の日本軍は麦や雑穀や野菜が主食のため、小柄で体力が貧弱であると判断。白米をしっかりとらせることが重要と判断しました。そのため、玄米から米ぬかを削り、白米を食べさせたのです。貴重な白米だけを。

 が、悲劇が始まります。ほとんど、白米だけを食べさせたことで、次第に体力が衰え始めます。腹いっぱい食べても歩行困難者が続出する頃には、ドイツ医学で学んだ病原菌に台湾出兵の軍隊が犯されていると結論づけたのです。体内にいるはずのない病原菌探しが始まりますが、患者数は増え続け、次第に病死者が出始めます。戦わずして約4000人の兵を失う結果になりました。

 これは、米ぬかに入っていたビタミンB1の欠乏が原因だったのです。当時は、日本軍はドイツ医学に傾倒していたことと、脚気はアジア諸国の病気であったためヨーロッパには前例がなかったことが災いしました。一方、海軍はイギリス医学だったため脚気はゼロ。明暗が分かれました。

 第一次大戦後の1917年には鈴木梅太郎が米糠からビタミンB1を発見しますが、太平洋戦争後になって脚気は途絶えます。それは、貧しいことが功を奏する、あずきの茹で汁を飲む栄養補給です。餡を作る豆から栄養分が茹で汁に溶け出し、捨てる茹で汁を飲む栄養法だったのです。

■日清戦争
  • 日本軍戦力 240,616人
  • 戦死 1132人
  • 戦傷病 3,758人
  • 戦傷死 285人
  • 病死 11,894人
    (内、脚気死 3944人)
■日露戦争
  • 日本軍戦力 約800,000人
  • 戦死 106,300人
  • 負傷者 173,425人
  • 病死 27,192人
  • 脚気患者 211,600人
    (内、脚気死 27800人)
参考Wikipedia、「白い航跡」吉村昭著
森鴎外